S君の症状は妄想だけではありませんでした。妄想や強迫症状など単独症状だけだったら診断しやすいのですが、複数の症状が重なった場合、統合失調症なのか、神経症なのか、(躁)うつ病なのか、判定が難しくなります。
強迫症状
強迫症状とは?
参考記事:神経症
強迫症状は、強迫観念と、それを打ち消すための確認行為(強迫行為)から成ります。
たとえば「鍵を閉め忘れていないか?」という不安(強迫観念)に対し何度も鍵を確認する、「バイ菌がついていないか?」という恐怖に対して手を何度も洗うなどです。本人も不合理と理解しつつ、不安が強く繰り返してしまいます。
S君の場合:勉強中の自分への脅迫
S君の場合、不安の内容(強迫観念)は「このままでは勉強がダメになる、試験に落ちるぞ」というものでした。そしてそれを打ち消すために、「今日はこれをやるから大丈夫」という確認行為を行っていました。
なぜこのような強迫症状になったかを説明します。
高校3年生、受験を控えたある時期から、妄想が強まるにつれ眠気が増し、勉強が進まなくなります。そこで思いついたのが、**「自分自身を脅迫して眠気を飛ばす」**という方法でした。
「このままじゃ落ちるぞ」と念じながら自分を脅迫し、不安を煽ることで眠気を覚ます──初めはこの方法は有効でしたが、やがて確認行為とセットでなければ勉強できなくなり、強迫症状が徐々にエスカレートしていきます。終いには疲労困憊しながら、自分を脅迫し、そして確認行為を行っていました。
社会に組み込まれた自己脅迫(強迫観念)
実はこの「自分を脅す」という構造は、私たちの日常にも深く埋め込まれています。
- 「仕事でミスしてはいけない」
- 「家事をきちんとこなさなければ」
- 「子どもを完璧に育てなければ」
こうした“~しなければならない”という社会的な圧力は、自分を縛る強迫観念となり、気づかないうちに強迫神経症になることもあります。S君のケースは極端ですが、その原型は私たちの日常にも潜んでいます。
「変なスイッチ」に要注意 ― 無理な気合いが症状を悪化させる
また無理に自分を奮い立たせる「変なスイッチ」は入れないようにしましょう。
たとえば、心身が疲れきっていて仕事や学校に行くのが難しいのに、前日の夜に「明日は絶対行くぞ!」と強く自分に言い聞かせる──これも一種の“変なスイッチ”です。
こうした一時的な高揚感や無理な気合いは、誇大妄想や躁状態に近い心の動きであり、その反動として翌日には“うつ”や不安が強くなることが少なくありません。
参考記事:”うつ” 原因はいろいろ
自生思考
強迫観念と確認行為が、日を追うごとにエスカレートし、S君は同じ行動を何度も何度も繰り返すようになっていきました。高校3年生の秋、受験勉強の追い込み時期、いつものように「お前、このままでは勉強だめだぞ、試験に落ちるぞ」と、念じて自分を脅迫して眠気を覚まそうとしたとき、突然、頭の中に勝手に「今日はこれをやるから大丈夫」という言葉が頭の中に飛び出てきました。それは、自分の意思とは無関係に湧き上がった自生思考でした。
この瞬間、S君は「自分の頭が壊れてしまった」と初めてはっきり自覚します。
「自生思考」は統合失調症の症状の一つですが、S君の場合、この体験は一度きりでした。
その後、脅迫の自己暗示は恐ろしくてできなくなりました。しかし、これまで「自分の意思でやっている」と思っていた自己暗示は、すでに自分のコントロールを離れ、強迫観念としてS君を苦しめるようになっていました。何か行動を起こそうとしたり緊張したりすると、強迫観念はさらに強まり、自生思考のように、勝手に観念が頭に湧き上がる感じになりました。
ただし、強迫観念と自生思考には決定的な違いがあります。
それは感情の有無です。強迫観念には不安という感情が伴い、それが「これは自分の思考だ」という感覚をつなぎ止めているように思えます。一方、自生思考にはその感情がなく、勝手に頭の中で思考が動かされている感じです。
また、強迫観念は思考の癖(自動思考)の一種であり、とくに「自分を責める自動思考」という点では、妄想の一形態ともいえます。
文章が読めない・言葉の意味が分からない
文章が読めなくなる症状は、統合失調症、双極性障害、うつ病、神経症のいずれでも、病状が重くなると起こりえます。S君の場合、これは受験の真っ最中に現れ、大きな支障となりました。
最も影響を受けた科目は国語です。なかでも小説や随筆は大きな壁になりました。
比喩や感情を含んだ表現が理解できなくなり、たとえば「心が躍る」「冷汗が出る」「目からうろこが落ちる」といった言葉が意味不明に感じられるようになったのです。さらに、文章が長く、複数の主語や述語が複雑に絡み合うと、文脈をつかむことが難しくなりました。
この理解度の波は、そのときの精神状態にも左右されました。比較的落ち着いているときは、、ある程度は読めても、不安や緊張が強いときにはまったく頭に入ってこない、という状態になりました。なお、このときS君がどのように文章を読んでいたかについては、後の記事(暴露反応妨害法)で詳しく述べています。
一方、数学は解釈で曖昧(あいまい)さがなく、感情表現も伴わないため比較的影響が少なく済みました。ひらめきの力は落ちたものの、論理的な数学的思考は保たれていました。
その他:陰性症状・身体症状
高校3年生の後半、S君の心は強迫観念、被害妄想、そして受験への恐怖で常に休まらない状態にありました。気にしていた抜け毛もさらに進行し、毛生え薬の匂いを漂わせながら高校生活を送る姿は、傍から見ても痛々しいものでした。
精神病で集中力を失ったS君にとって、受験はまさに「死刑宣告」に等しいものでした。時間という見えない手に背中を押され、ゆっくりと処刑台へ向かって追いやられるような感覚。しかも「今回落ちれば、来年挑戦する気力は残っていない」と理解していました。
発症したのを自覚してからは、新しい知識を吸収することはあきらめ、現状維持を目標に受験へ臨むことにしました。強迫症状で「また文章が読めなくなるのでは」という恐怖が常につきまとい、少しでも焦れば症状が悪化することを知っていたため、自分の精神に刺激を与えないよう、そっと机に向かっていました。
受験が終わった後は、極度の消耗感に襲われました。気分は沈み、体は重く、だるく、意欲も低下。思考の働きも鈍くなりました。喜怒哀楽の感情は消え、不安とつらさだけが残っていました。以前から続いていた、頭頂部が締め付けられるような頭痛も変わらず続きました。
振り返れば、合格と引き換えに自分の精神を差し出してしまった感覚があります。1年近く強迫観念による自己暗示を続け、途中で「これは精神に悪いかもしれない」と気付いた瞬間もありました。しかし「精神を犠牲にしてでも合格を」との思いから、願掛けのようにやめられませんでした。
どうか、皆さんは何かを犠牲にしてまで願掛けをするような方法はやらないでください。それは、大きな代償を伴うことがあります。
思考障害
思考障害は、統合失調症だけでなく、双極性障害、うつ病、さらには神経症においても見られる症状です。思考ができなくなったり、頭の中で考えがまとまらなくなったりするため、日常生活や学業、仕事に大きな支障をきたします。
S君が経験した思考障害については、この後の記事で詳しく取り上げます。