精神分析とは何か?
精神分析と言えばフロイトになりますが、無意識の発見は画期的なものと言えます。私がどうしていいか分からず途方に暮れていた頃、フロイトの精神分析入門は、私に精神の見方を教えてくれた福音の書でもあります。フロイトの対象疾患は神経症となっていますが、精神分析は認知行動療法の基礎ともなっており、統合失調症、躁うつ病にも必要なアプローチです。 (神経症と統合失調症、(躁)うつ病は本質的には区別できません)
フロイトが提唱した無意識理論
フロイトはしくじり行為の説明から始まり、人の精神には意識と無意識があると述べています。
ある司会者が開会のあいさつで間違って閉会の辞を述べてしまった。これは司会者は意識はしてなかったけれど、本当はその会合をやりたくなかったのだと、つまり無意識の力は強く、本人(意識)が集会の開催を何の疑いもなく当然のものと考えていたとしても、勝手に本音が出てくると説明していました。神経症も同じ構造で、無意識にあるものを意識が抑圧しても、無意識は神経症という症状で訴えるのだと言っています。そして無意識への抑圧を解いてやれば、神経症は治るとフロイトは説明していました。画期的だと思いませんか?
フロイト理論の臨床応用
神経症に対して行った精神分析
両足の痛みにより2年以上前から歩くことができないエリザベートは、ある日自宅に往診に来たフロイトとの精神分析治療中に、亡くなった姉の夫である義兄の話し声が聞こえた瞬間に両足に激痛を覚えました。
このことに着目したフロイトはさらに分析を行い、エリザベートが姉の死を悲しく思うと同時に「これで義兄と結婚できるかもしれない」という思いを抱いたことに罪悪感を感じ、この思いを無意識下に抑圧していたことを突き止めます。葛藤の末この思いをエリザベートが認めて受け入れると、足の痛みは消失しました。
フロイトの言う抵抗とは、意識に昇らせたくない無意識下の欲求を、精神分析で意識化させようとした時にそれを避けようとする防衛反応のことです。上の症例では「これで義兄と結婚できるかもしれない」という思いを意識下に取り出すことに抵抗がありましたが、それを取り出すことによって治癒しました。
フロイトの精神分析は性と性に関する道徳に影響され過ぎているきらいはありますが、参考になります。また幼少期の教育やしつけによる無意識の抑圧を神経症の原因とも考えています。
S君の自己精神分析
以下、S君の自己精神分析になります。
S君談
その当時フロイトの理論は自我や超自我など難解な部分も多いので、河合隼雄や加藤諦三の本も参考にさせていただきました。それらを読んで、僕は親に成績至上主義で育てられ、成績が悪いと怒られていたので、いつもいい点を取らなくちゃ、優秀な子でいなくちゃと思って生きてきてました。親の顔色をうかがってビクビクして生きてきた ことに気が付いたんです。そのために精神を犠牲にしてまでも机に向かって勉強だけをしてしまったんです。
僕は洗脳されていたんです。親の厳しいしつけや教育が、僕の無意識を抑圧していたことを知り、僕は親に向かって「お前のせいでこうなったんだ!」と罵りました。
精神分析の限界
散々悪態をついて2、3カ月程したところで、ふと気が付きました。フロイトは無意識にあるものを意識化すれば、神経症は治るって言ってたけど、全然治ってないことに。
「なぜ治らないんだ?」
どこに精神分析の限界があるのか?
- 「俺は神経症じゃなくて統合失調症なのか?」精神分析の対象は神経症で、統合失調症は精神分析では治らないということなのか?
- 「精神分析では軽いものだけで重いものは治らないのか?」しくじり行為とか軽い神経症しか治せないということなのか?
- 「まだ無意識から取り出せてないものがあるのか?」フロイトは無意識に抑圧しているものを意識に取り出せば治ると言っていたが、僕の無意識にまだ取り出せていないものがあるのか?
残念ながら、フロイトの精神分析も完全ではありません。
無意識から取り出せてないもの
精神分析で治る症例と治らない症例
たとえば、犬の鳴き声を聞いて不安が出るのは、実は子供の頃、犬に吠えられて怖い思いをした経験が原因であった。忘れていたが、精神分析でそれを思い出して、「なんだ、それが原因だったのか」と気付き、不安神経症が解消する。
これと、症例S君のように親に洗脳されていたことに気付いたのに治らないのと、どこが違うのだろうか? やっぱり軽いと重いの違いだろうか?
無意識から取り出せてないものは時間
ユングは著書、夢分析の中で、無意識には時間の概念がないと言っています。実は私の精神分析で取り出せていないものは時間なのです。「完全に過去のものなんだ」ということを、取り出せていないのです。神経症か統合失調症か、軽いか重いかの違いではないのです。
「なーんだ、子供の頃、犬に吠えられたのが不安神経症の原因だったのか」と、「ちくしょー、精神病になったのは親のせいだ!」との違いは完全に過去のものになっているか、いないかの違いなのです。
許しの意味
「完全に過去のものとして水に流した」というのを、時間概念のない無意識に分かる言葉で言い換えると、”許した”になると思います。
この許すという行為は、がんばって許すということではありません。無理して許すのは、逆に無意識への抑圧になり、神経症(精神病)をこじらせてしまいます。いろいろ経験していくうちに成長し、意識しないでも自然に許せるようになります。許せない時は素直に許せないでいいのです。ただ、恨みを募らせる行為は、許す(治る)とは逆方向ということだけ覚えていただければ十分です。
最終的に許した後は、相手との縁が切れていることもあれば切れてないこともあります。