精神科医が語る「愛」と認知行動療法|強力な治療法の実践

ソファに座りながら幼い娘を優しく見守る母親の水彩画風イラスト。温かみのある家庭的な雰囲気の中、母と子が穏やかに過ごしている様子を描いている。 治療

前回の記事の続きです。サブタイトルは「愛を知らない人間が、愛を見上げて、愛を語る」です。
参考記事:精神科医が語る無償の愛とは?

「愛」を認知行動療法に取り入れる

人を愛せる人間になるために

人を愛したい。でも、愛し方が分からない。
そんな人間にできることは何か?

まずは愛の対極にある妄想をしないことです。

妄想とは ”自分や他人を傷つける考えや行動”を言います。たとえば、憎しみや嫉妬、嘲笑、いじめ、不平、不満、他責、自責、自己卑下、希死念慮などがあります。現実かどうかで判断するのではありません。     参考記事:妄想について  どのように妄想に陥ってしまうのか?

「どうせ、俺なんか ”愛” はないからいいよ。」これは自己卑下であり立派な妄想です。
本気で人を愛せる人間になりたいと願うのであれば、その時点で妄想は半減します。

「無償の愛」気付きと実践
無償の愛」とは

愛を説明するのに、無償の愛という表現がよく使われます。見返りを求めずに相手のために尽くす 気持ち や行為をいいますが、この説明は非常に分かりにくいです。

もっと分かりやすく言うと、"本当に優しい人は自分が優しくしていることに気付いていない” ということです。だから、見返りを求めないし、やってあげてるといった自己犠牲感もないのです。強い妄想に病識がないように、強い愛にも病識(自覚)がないのです。

妄想ばかりしてきた人が、妄想しないでと言われると、何も考えられなくなると思います。まずはそれでいいのです。この空白は治療の出発点です。

次に何も考えられない頭で、他人のためにできることはないか、一所懸命考えるのです。ここが大事なところです。小さなことでいいので、自己犠牲感が出ずに自分ができることを、ウーム ウームと、脳みそに汗をかいて考えるのです。自分で考えつくのが非常に重要です。これはゼロから一を立ち上げる創造の感覚に近いです。自分が他人のためにできることが見つかったら、実践してみてください。そして継続していってください。

もし思いつかない時は、外に出て周囲の人を観察してみましょう。みんなが環境の中でどのように他人に優しくしているのか?、どのように愛を表現しているのか?、邪魔しないようにこっそりと観察してみて下さい。これも自分で気付くのが非常に重要です。その方たちは無意識にしていることですから、自己犠牲感や自己誇示がなく、さりげなく目立たない形です。妄想が支配的な時期は気付くのが難しいと思いますが、心でよくよく見てください。これも学習するというより、ゼロから一を見出す発見の感覚に近いと思います。自分にできそうなものがあれば、真似して実践してみてください。

これらは、強力な認知行動療法になるはずです。

注意点:「無償の愛」から逸脱しないために

これから人を愛せる人間になりたいと思っている方々には蛇足かもしれませんが、念のため注意点を述べます。

  • これらが認知行動療法になるからといって、治るのを期待しないでください。治るのを期待するのは見返りを求める行為で愛じゃなくなってしまいます。
  • 他人に優しくできたとしても、それを特別なことと思わないようにしてください。自分でも気付かない位当たり前にやるのが目標ですから。
  • 自己犠牲感が出る場合は一旦立ち止まり、何が問題か分析して自己犠牲感が出ない形でやってください。
  • やっては休む、やっては休む位でいいと思います。性急にやり過ぎると、躁状態や誇大妄想、強迫観念になる危険性もあります。 

あとは、「人を愛せる人間になれますように」と 願いながら、繰り返し焦らず実践していくしかありません。無意識に刷り込み、自動思考(あたりまえ)になるまで。この認知行動療法は、やっていることを他人に言わずに(意識化してしまうと愛が弱まるため)、周りに溶け込んでさりげなくやるのがコツです。

愛は、愛せるようになったと自覚して獲得するものではなく、無意識に定着していくものです。

追記

参考までに、私がどのように実践していったかを書いてみます。
前回の記事「精神科医が語る”無償の愛”とは?」の続きになります。

カラマーゾフの兄弟を読んで、「人を愛せる人間になりたい」「でもどうやって人を愛せばいいのか分からない」と切実に思いながら、初めは「誰か、俺に愛を教えてくれ」と思いました。

しかし、「きっと愛がある人は愛のない人を選ばないんだろうな」と考えなおし、誰かに教えてもらうという道はあきらめました。それでは「どうやって人を愛せばいいのか」としばらく悩んでいたところ、ふと「そういえば、自分は医者だった」と気づきました。「もしかしたら患者さんの治療を一生懸命やれば、人を愛するということになるのではないか?」とひらめきました。

まだ駆け出しの医者だったので、知識も技術もありませんでしたが、治療に向かう際は「人を愛せる人間になりますように」と願ってから向かってました。

これが、私にとって医者としての最初の一歩だったと思います。