精神医学では、現実には無いものが あるというのを妄想と言っていますが、この見方はトラップ(罠)だと思っています。一応、輪廻転生はある を前提にして生きてる私としては、自分の性格からすると、生まれ変わっても、またこのトラップに陥ってしまう可能性があるので、自分自身への注意喚起のために書いています。
まず妄想だけでは、自分が精神病に陥っていることにはなかなか気付けません。行く所まで行って、何らかの内的・外的障害が出て、初めて自分の頭がおかしくなったことに気が付くでしょう。できるだけ早めに気付いた方が傷が浅いので、他人や自分を悪く考えるようになったら、信頼できる人に相談してください。妄想を相談するのは恥ずかしいかもしれませんが、一人で解決するのは難しいです。
妄想を現実かどうかで見ようとすると
かくいう私も初めは、妄想を現実かどうかで見ていました。
精神病になったと知った時、その当時の風潮から病院に行くことは考えられず、家に置いてあった世界大百科事典を、強迫症状に耐えながら、目を皿のようにして必死に読み込みました。自分は精神分裂病になったのかどうかと。
参考記事:統合失調症 診断の仕方
ちょうどその時、私の被害妄想は、微妙な位置にありました。父親との対話を通して、少し病識が芽生えた時期でした。強迫症状など他の症状を勘案しながら、自分は精神分裂病か強迫神経症のどちらかという所まではたどり着き、最後の決め手となるのが、みんなから笑われているということが妄想かどうかで、精神分裂病か強迫神経症かが決まるという結論に達しました。果たして、みんなから笑われてるというのは妄想なのだろうか?と悩みました。
参考記事:どのように妄想に陥ってしまうのか
妄想には病識はないというが、私はもしかしたら妄想かもしれないとも思っている。そうであれば妄想じゃないということか? → でもみんなからは笑われていると思っている。それは妄想というんじゃないか? → でも妄想には病識はないというが、私はもしかしたら妄想かもしれないとも思っている。それであれば妄想じゃないということか? → でもみんなからは笑われていると思っている。それは妄想というんじゃないのか? → 以下、ループ・・・。一所懸命考えても妄想かどうか分からない。
それじゃ、妄想が現実かどうかで決まるんであれば、自分が本当に笑われていれば妄想じゃないということになるのか? 被害妄想には、「命が狙われている」「盗聴器が仕掛けられている」「悪口を言われている」などがあるけど、患者さんを実際そんなことあり得る場所に連れていけば妄想じゃなくなるということなのか? 俺が本当に笑われている場所に行けば妄想でないということでいいのか?
いろいろ考えましたが、結局その時は自分は妄想かどうかは分からず、それ以来、自分は精神分裂病かもしれない、妄想って何だろうという疑問を抱えて生きてきました。
妄想の現実化と精神病
治療は穏やかな人間関係性を増やして、妄想の割合を小さくしていく感じですが、妄想が消えるわけではありません。最初に病識が出て、次に頭の中だけの妄想から現実の問題(妄想)へとすり替わっていきます。みんなが笑っているわけではないけど、笑っている人はいる、みんなが悪口言っているわけではないけど、悪口言ってる人はいる、また、思い違いでなく実際にそういう人が出てくるようになります。現実の問題へと妄想は変化していきますが、妄想が治ったという感じにはなりません。
逆に現実世界から精神世界に妄想が移る、つまり精神病が発症するパターンもあります。クレペリンは著書、早発性痴呆(統合失調症)の中で、統合失調症の発症は刑務所に入るのがきっかけになることがあると述べています。犯罪者が妄想の人間関係性を現実社会に反映できていた時は精神病とは言われませんが、刑務所に入り妄想の人間関係性を現実社会に反映できなくなると、妄想が精神病という形で表れるということです。
現実であれば妄想でないと考えるのが危険なのは、実は妄想も現実化させることができるからです。妄想を現実化させる一番簡単な方法は、周囲の人に自分の妄想を信じ込ませることです。そうすると信じ込んだ集団内では、それは現実となります。妄想を信じて受け入れてしまうと まともな人ほど苦しくなります。
たとえば、分かりやすい例でいうと、戦争や虐殺をやっている国のトップ、自分の被害妄想・誇大妄想を上手に現実化させていると思います。周囲に自分の妄想を信じ込ませれば、その世界の中では現実ということになります。もしそれができなければ、自分が精神病ということになるので彼らも必死だと思います。妄想世界を崩すような「戦争反対」などの声は彼らにとっては脅威であり徹底的に弾圧するでしょう。あそこまでやっちゃうと、自分の妄想世界が崩れた時は、統合失調症を発症し、ヒトラー(自殺)や麻原彰晃(昏迷)みたいな末路になると思います。もっと上手な人は、できるだけ自分の精神を傷付けないように、誰か別の人にやらせてます。
妄想は人間関係性である
最後に、妄想は人間関係性だということを知っておいてください。私は周囲から自分の髪の毛の薄さを笑われているとの被害妄想に陥りましたが、その前に他人の容姿を心の中で笑い、それを糧にしたため、他人とは嘲笑する嘲笑されるだけの人間関係性になってしまいました。たとえどんな理由があっても、人を傷つける考えや行為は、自分に返ってきますから、もし やるんであれば、返ってくるのを覚悟してやってください。どこまでやるかも決めた方がいいと思います。自分を傷付ける考えも同じです。
参考記事:どのように妄想に陥ってしまうのか
そして一旦嘲笑する嘲笑されるの人間関係性に落ち込んでしまうと、そのほかの穏やかな人間関係性が見えなくなってしまうので、笑われるかもしれない、バカにされるかもしれない、見下されるかもしれない という類似の人間関係性でしか人と関われなくなってしまいます。そこから這い上がるには不安・怯えの中で人と交流をして、少しづつ穏やかな人間関係性を覚えていく必要があります。考え方・見方が妄想の人間関係性に侵されるだけでなく、感情鈍麻や意欲減退の陰性症状、思考障害、強迫症状、パニック症状、・・・なども付いてきますので本当に大変です。妄想の世界に陥るのはあっという間ですが、そこから這い上がるのは多大な時間と労力を必要としますので、できるだけ妄想の世界に陥らないように気を付けて下さい。
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