“すべては学びだった“ この考え方はいいと思います。すべては学びだったと思えれば、辛かったこと悔しかったことすべてが許しや感謝に変えることができます。
それまでは何気に聞き流していた「人に感謝しなさい」「弱い者いじめしてはダメだよ」「人に親切にしなさい」などの大人たちの言葉、精神病になったことで身を持ってそれらの大切さを学びました。(できているかどうかは別として)
私が精神病になったきっかけは、同級生から髪の毛の薄さを笑われ、精神的に耐えられなかったからですが、大事なことを学べたと思えば許しや感謝につながります。
参考記事:どのように妄想に陥ってしまうのか
ここで話は飛びますが精神病になったきっかけは実はもう一つあって、それについて話したいと思います。
この医者、また妄想かよと思われてしまうかもしれませんが、実は私にも高校生の頃、モテ期があったんです。中学も男子校で高校も男子校みたいなものでしたから、元々は女性とは縁がないものと思っていました。女性のことは大して気にもしていなかったのですが、ある日登校中に、一人の女子高生が後ろを振り向いてじっとこちらを見てきたのです。何を見ているんだろうと不思議に思って見返していたら、急に私の視線を避けるかのように前を向き、何事もなかったかのように歩き続けていました。何だったんだろうと初めは不思議に思いましたが、そういうことが何回も繰り返されていくと「俺ってもしかしてもてるのかも」と女性の視線を意識するようになっていきました。そのうちに自意識過剰になり、女性からモテているという気持ちよさはありましたが、逆にみんなが俺のことを見ている、笑っているという妄想を助長する結果にもなりました。
話を元に戻して、「すべては学びだった、精神病のきっかけを作ってくれた同級生に対しても、許しと感謝かなー」と考えていたら、ハッと😮気が付いてしまったのです。
「そうだったのかー。実は、あの女の子連中も(俺を精神病に陥らすための)グルだったんだ—😔」ということに。
これは被害関係妄想ではないですよ。恨みは一切入ってませんから。感謝ですから。
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「あれ?、俺のモテ期はどこ行った?」(笑い) ハイ、みなさん、ここ笑う所ですよ。
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