ご家族から家族の接し方を書いてくれとリクエストいただいたので書いていますが、本音を言うと本人次第のところがありますので、家族は十分やっていると思いますが家族のできることは少ないです。たぶん本人も一所懸命だとは思います。
患者さんと共に過ごしているご家族に向けて、診療だけでしか関わっていない私に、アドバイスできる程のものはありませんが、思ったことを書いてみます。
最初に、こうした方がいいとか しない方がいいとか 接し方に正解・不正解はないと思っています。本人を思っての言動であれば、たとえ言い合いになったとしても、自立や気付きのきっかけになることもあるので、不正解とは言えないでしょう。
患者さんが治るには、超えるべきハードルとして、時にいじわるな役回りをする人物の登場もあります。そういった人を含め多くの人間関係があって良くなっていきますので、その中で、いじわるな役回りは他人に任せて、ご家族はサポート役に回れるのが理想です。
患者本人に通る言葉
患者さんの状態により異なりますが、精神病が重症化すると判断力の低下、思考障害が生じます。
参考記事:思考を助けてもらう・思考を拡張させる
思考障害と対話型思考
判断力が落ち、思考障害が出ている時は言葉の理解力も落ちています。その状態の患者さんに理解できる言葉を届けるのはかなり難しいのですが、できるだけ届きそうな言葉を発する必要があります。まず一番大事なことは主語・述語をはっきり言うことです。特に主語、明示しなかったとしても誰が主語かをはっきり分かる話し方が必要で、しかもできるだけ「私が」を主語にした方がいいです。
判断力低下時・思考障害時は、思考がかなり制限されていますので、患者さんは自分軸での思考しかできません。つまり「私はこう考える」「私はそう考えない」「私はこれをしたい」「私はそれをしたくない」などのように、自分が主語でないと考えられなくなっています。他人を主語にして「彼はこう考えている。」「みんなはそう思っている」などの思考はできないのです。
だから、家族が言葉を発する時も「私はこう考えている」「私はあれをしたい」など自分を主語にした方が、患者さんにとって理解しやすくなります。「彼がこう考えていたよ」とか言われても、彼を主語にする思考が難しい上に、患者さんにとっては 「あなたは、彼がこう考えていたよと、言っている 」みたいな文章になり、さらに複雑化していて理解できないと思います。ましてや、「常識では」とか、「普通は」みたいに主語すらはっきりしない文章は混乱と反発を引き起こすと思います。「常識ではそんなことはしないよ」と言われたら、訳もなくただ自分を縛り付ける言葉に感じると思います。
「あなたのためを思って言っているのよ」というのもよく分からないでしょう。患者さんは他人軸で考えられなくなっているので、あなたが自分のためではなく誰かのためという(誰かを主語にしたかのような)他人軸の思考にピンとこないのです。しかも、この言葉って、子供に言うことをきかせるために大人たちがよく使うでしょうから、むしろ偽善に感じ、「本当はあなたはどう思っているの?」「結局自分のために言っているの?」と思うかもしれません。
「治療のため」や「あなたに良くなってもらいたい」という言葉も同様に患者さんの心には響かないと思います。患者さんが心から理解できるのは、患者の目の前にいるあなたが、あなたを主語にして こう考えている これをしたい といった本心だけです。
上記を踏まえ、例えば、患者さんに「常識ではそんなことはやらないよ」と言おうと思ったら、どのような言い方をすればいいのでしょうか。1つの例ですが「私は世間体を気にしているので、私はそれをやらない」と言った方がまだ伝わると思います。本当は世間体を気にしているのに、あたかも自分が高い道徳心を持っているかのような言い方は逆効果だと思います。また世間体を気にして「それをやらないで亅というのも、自分の不安や恐怖の押し付けということになりますので、患者本人の問題でなく、世間体を恐がっている家族側の問題になります。
こんな感じで、できるだけ自分を主語にして、自分の気持ちを正直に話した方が伝わると思います。家族側も自己分析が必要で、今まで家族が当たり前だと思っていた価値観(世間体や期待など)・ルールも何でそれを守っているのかよくよく点検し、その価値観で患者さんを苦しめていないか見極める必要があります。患者さんが大事なのか、価値観が大事なのかの選択を迫られる試練に直面することもあるでしょう。家族の問題が、患者さんの精神病として現れることは時々あります。
家族の価値観やルールが患者さんを苦しめていると気付いた時は価値観を手放すしかないと思いますが、これは価値観よりも人の方が大事との認識を持ち、いざとなったら価値観を手放す覚悟を持つという意味です。やけくそになってゴミのように価値観やルールを捨てるということではありません。
患者さんが家族のせいで精神病になったと責めるのであれば、厳しいようですが自立の道に進んでいただくしかないと思います。家族にできることは自立を陰ながら支援する位です。その他、患者さんが家族に対して罵ることがあるかもしれませんが、その時は独立宣言だと思って受け止めてあげてください。謝る必要はないです。自立が進んでいけば良くなっていきますが、独立宣言を延々と繰り返しているうちは良くなりません。
参考記事:精神分析 無意識には時間の概念がない
精神分析から認知行動療法へ 自立のステージ
もう一つ例を挙げてみましょう。今度は「死にたい」と言われたらどう答えるか。これはあくまでも私の意見ですが、「死んじゃダメ」「死なないで」はあまり届かないんじゃないかと思ってます。逆に「死ぬという最後の自由まで奪ってしまうのか」と思われるかもしれません。それよりも、たとえば「あなたが自殺すると、私は生きていけない。」と言った方が、伝わるんじゃないかと思います。私の器量ではこの言葉は(たとえ家族に対してでも)吐けませんので、「死にたい」と言われた時は黙って聞くくらいしかできません。私の、医者としての、人間としての限界です。
一番治す力を持っているのは本人、その次は家族や友人、医者は微々たるものです。患者本人に治す力があると言っても他人との関わりは必須で、良くなってくると患者さんは、みんなのお陰で良くなったと思うようになります。
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