精神科医が語る“無償の愛”とは?|経験と小説から学ぶ人間関係

おじいちゃんと孫たち 治療

精神科医が「愛」を語る背景とは?

最近の精神医学では、「科学的根拠」や「エビデンス」という言葉が頻繁に使われます。それ自体はとても大切なことだと思いますが、もしその背後にある「人間関係性」そして「愛」といった視点が抜け落ちてしまえば、精神医学は本質を見失ってしまうのではないでしょうか。「愛」も科学です。

人間関係性としての「愛」

愛とは妄想の対局にある人間関係性で、感謝、許し、いたわり、尊敬など、他者と共存・共生できる考えや行動を指します。そして、それを当たり前にできる人間性が必要です。

妄想は ”自分や他人を傷つける考えや行動" を指します。たとえば、憎しみや嫉妬、嘲笑、いじめ、不平、不満、他責、自責、自己卑下、希死念慮などがあります。 現実かどうかで判断するのではありません。 参考記事:妄想について どのように妄想に陥ってしまうのか?

と、愛について説明していきたいところですが、私を知っている人達から「お前が愛を語るな」という声が ”やんややんや”聴こえてくる気がしますので、趣向を変えて ”愛を知らない人間が、愛を見上げて、愛を語る”というサブタイトルで説明していきたいと思います。

「愛はない」と思っていた過去

「愛は偽善」と捉えていた学生時代

S君談

前にも記事(思考を拡張させる)で書きましたが、当時の私は「あなたのためを思っている」という言葉は偽善だと思っていました。親からも「お前のため」と言われたことがありましたが、その結果がこのザマだと思っていたので、私は愛を偽善だと捉えていました。

大学3年生か4年生の頃、寮で友達数人と だべっていた時のことです。その時 ”愛はあるのか、ないのか”の議論になりました。一緒にいた友達がみな「愛はある」と言うのを聞いて、私はムキになってしまい、「愛なんかねえよ!」「愛は偽善だ!」「愛があるんだったら、証拠見せろよ!」と怒鳴ってしまいました。
そしたら友達たちはみんな黙りこんでしまい、その姿を見て私は「ほら、見たことか」「何の反論もできまい」と勝ち誇った気でいました。

愛は見えない人には見えない。

「愛はある」と知った瞬間

S君談

私が”愛はある”と知ったのは、医者になって3年目の頃です。きっかけはドストエフスキーの小説、「カラマーゾフの兄弟」を読んで知りました。

初めて「カラマーゾフの兄弟」を目にしたのは、大学4年生の頃です。おじいさん(賢者という意味)と呼ばれていた友達がいたのですが、俗世間とは距離を取って隠居でもしているかのような雰囲気でしたが、一を聞いて十を知るような優秀な奴でした。その友達がカラマーゾフの兄弟を読んでいて、どういう本を読んでいるのか聞いたら「これは傑作だ」と絶賛していました。ただ、その時は難しそうな本なので、そのまま聞き流しました。

ドストエフスキーとの出会い:『カラマーゾフの兄弟』がもたらした変化

次に「カラマーゾフの兄弟」を目にしたのは、研修医2年目の頃でした。同期の研修医に、おじいさんと似たような雰囲気の人がいたのです。この人は研修医なのに、カラマーゾフの兄弟を片手に病棟を歩くような変わった奴でしたが、やはり「これは傑作だ」と絶賛していました。2人の賢者が傑作と言う本を読まないわけにはいかないと思い、研修医が終了して少し落ち着いた時期に、読んでみました。本当に傑作でした。私はこの本を読んで「愛はある」ということを知りました。

今まで「ない」と思っていたものが「ある」と知った時、どうなるのか。
それは、自分には愛がない、自分は空っぽなのだと、思い知らされることになります。人を愛せる人間になりたい。でもどうやって人を愛せばいいのか分からない、そういった感覚でした。

その頃の現実世界の話になります。私はもてる方ではなく、女性を誘っては「私、彼氏がいるんで」とか「私、好きな人がいるんで」と言われて断られることが多く、終いには「あの先生、気持ち悪い」と言われる始末でした。その時の私は不遜にも、いい女性は俺が精神病で苦しんでいる間に、すでに別の男に取られてしまって、もう残ってないんだと思っていました。中には少し付き合ってくれる方もいましたが、何かしっくりこない。自分に好きという感覚がなく、結局相手を傷つける形で別れることもありました。

愛の存在に気づく前の私の結婚観ですが、極端に言えば、「結婚とは売春婦 兼 家政婦と契約するようなもの」に近いものでした。それではあんまりなので、そこにステータスでも追加した条件で結婚相手を探していた気がします。 (大変傲慢な考え方で気分を害された方がいたらすみません。その頃の価値観を分かりやすく伝えるために、無理矢理言語化しました。)

だからこそ、相手も自分が医者だから結婚を考えるのだろう、自分が医者をできなくなったら捨てられるんだろうと思っていました。もしその頃結婚していたら、逆に被害妄想や嫉妬妄想でDV男になっていたと思います。

そうした中で、カラマーゾフの兄弟を読んで、「愛はある」と知った時、すべての問題は自分にあるということに気が付きました。自分には愛がない。自分が女性と付き合うと、必ず相手を傷つけてしまう。そのことがはっきりと理解できました。「人を愛せる人間になりたい」「でもどうやって人を愛せばいいのか分からない」そんな切実な思いを抱きました。

愛する力がないと、人愛せない。

無償の愛とは何か?

愛を説明するのに、無償の愛という表現がよく使われます。見返りを求めずに相手のために尽くす気持ちや行為をいいますが、この説明は非常に分かりにくいです。

自覚のない優しさの本質が・・

もっと分かりやすく言うと、”本当に優しい人は自分が優しくしていることに気付いていない” ということです。だから、見返りを求めないし、やってあげてるといった自己犠牲感もないんです。強い妄想に病識がないように、強い愛にも病識(自覚)がないのです。

でも、これから愛を実践しようと思っている人に、それを無自覚にやれと言うのは、無理ゲーだって思いますよね。次の記事でどうすればいいか考えてみます。