障害者年金の診断書について
とある評価サイトで「障害者年金を書いてくれない」「ヤブ医だ」と書かれていました。私の判断が他の医師より厳しいのだろうか?
ただ、障害者年金を「もらう/もらわない」とは別に、私は可能な範囲で社会に出て、人と交流してほしいという気持ちがあります。
そして、その手段として「仕事」は、うまく噛み合えばとても有効だと思います。以前のブログに書きましたが、仕事自体が作業療法になりますし、問題が起きたら起きたで、そこには認知行動療法のチャンスが生まれることもあります。
一方で、精神科医として、うつになった人の話を聞きすぎているせいかもしれませんが、現代の職場は要求が多く、過酷だと感じる側面もあります。働けば働くほど負担だけが増える構造が多いような気がします。これから働き始める人には、不安や恐怖を抱えながらも何とか踏み出してほしいですが、頑張った人が「自活できる」「結婚できる」くらいの希望を持てる社会であってほしいとも思います。私たち凡人には、頑張るための“少し大きめの人参”が必要です。
……ここまでの前置きは、ブログの導入です。
ここから先は障害者年金の話ではなく、社会構造と政治の話に移ります。診断書そのものの可否を論じる意図はありません。
希望が持てる社会に、政治は何ができるのか
今度選挙がありますが、争点はどこにあるのでしょう。
「消費税を減税する」という話はよく聞きます。しかし本当に大事なのは、財源・手段です。
– 税収が減った分の財源はどこから出すのか
– 財政不安→円安→インフレという形で、結局負担が増えるのではないか
– あるいは別の増税になるのか
この他にも、防衛費の増額、年々膨らんでいく医療や福祉、年金など出費が山積みです。
財源を示さずにバラ色の話だけが進むと、精神病理の比喩を借りれば、地に足のつかない「躁的な語り」「誇大妄想」に近くなります。
野党に限らず、与党も含めて「言うのは簡単だが、財源・筋道が見えない」政策は少なくありません。
私が大事だと思うのは結局、 給与・手取りを増やすことも、負担のあり方も、より公平にすることではないかと思います。
どこに問題があるのか:制度の“無風地帯”の存在
この問題は多岐にわたりますが、私は一つの象徴として、政治団体や宗教法人などの一部領域が、税制上「説明責任や課税の点で、一般の個人・法人とは違う扱いになっている」ことが、社会の不均衡感を強めていると思っています。
つまり、これらの寄付やお布施に対して無税というところです。なぜ無税になったのかという経緯はさておき、今の日本ではお金の所有が移動したときには基本的に課税される仕組みになっていますが、ここだけは無風地帯なのです。(※ここで言うのは「寄付・お布施」という流れの話で、政治団体・宗教法人の課税全般を論じたいわけではありません。)
個人事業主や一般企業は、経費の説明を求められ、曖昧なら否認され、追徴課税、過少申告加算税、下手すれば重加算税などの対象になります。さらに額が大きければ、犯罪者扱いに近い対応を受けることもあります。
一方で、無風地帯は使途が不適切であっても、現場的には注意喚起・指導で終わることが多い。税務署としても、課税の対象ではない領域に調査リソースを割きづらく、結果として、監視が働きにくい「無風地帯」が生まれます。
痛み(税負担)を引き受ける側にだけ、法とペナルティが“本気”で適用され、
免除されている側には“実質的な無風地帯”がある。
私はこの非対称が問題だと思っています。
私は特定の政治家や団体を非難したいわけではありません。なぜなら私も利権側にいるからです。
その他にも租税特別措置法、補助金、特別会計、一般会計の中にも分かりにくい形で様々な利権が紛れ込んでいると思います。これは誰かが悪いということではなく、法律・制度の問題です。政治家、宗教法人、各種業界団体、官僚機構もこの法律・制度の中に組み込まれているのです。
落差が社会を抑うつ化させる
努力しても報われない。
頑張れば頑張るほど負担が増えるばかりで、生活がよくなる見通しがない。
この感覚が、無力感を生み、社会全体をうつ的にしていく――私はそう見ています。
少子化対策と言われても、また負担が増えそうで、これじゃ結婚や子育てもできないなという気持ちにさせられるのだと思います。
この精神病的構造を温存したまま、個人にだけ「自己責任」「生産性」「働け」と迫るのは、かなり酷な話ですし、精神病の患者も減らないと思います。(もちろん社会的構造だけが原因とは言ってません)
「分かっているのに変えられない」構造
片山財務大臣は「聖域を残さない」「永田町の論理にとらわれない」といった趣旨の発言をしています。元大蔵省出身の方ですから、制度の問題は当然よくご存じでしょう。ただ、現時点で具体的に出てきている見直しは、中小法人の軽減税率の見直しだけにとどまっています。重箱の隅を突くように見えて、本丸には踏み込めていない――そう感じます。
高市総理も、政治資金をめぐる大規模なパーティーの自粛などには言及していますが、制度の中枢にかすっているかというと、かなり距離があるように見えます。
一方で片山大臣は、国民の声を集めるためにSNSを立ち上げる、公開討論もあり得る、とも発言しています。置かれた状況の中で、かなり踏み込もうとしているとも思います。ただ、ここまでが今の政権・政局の限界なのではないか――私はそう見ています。
大臣や総理でも、投票権が10票、20票持っているわけではなく、他の議員と同じく結局一票、トップダウンの会社組織のようには動きません。各議員さんも業界団体・支持団体の支援で当選しているわけですから、それら団体の意向に反することはできない訳です。
本気で踏み込めば、政権が吹き飛ぶほどの反発が起きうる。結果として「分かっていても、触れられない領域」が残り続ける。
業界団体や支持団体は選挙で確実に票を動かせる団体、そして政治家と長年にわたってお互いに協力してやってきました。今まで、いっぱい苦労して努力してきたのです。その一方でサラリーマンや個人事業主は文句は言うけども、投票に行かない人も多く投票行動も割れます。票田を持っている団体と、文句だけ言って投票も行かない集団、どっちを大事にすると思いますか?どう考えても票田を持っている団体でしょう。
では、どうすればいいのか
誰かを糾弾してスケープゴートを作っても、構造は変わりません。
それをやり始めると、私の言う意味での「妄想」に近づいてしまいます。
だから私は、結局いちばん現実的なのは 選挙に行くこと だと思います。
支持したい候補がいなければ白票でもいい。投票行動としての“票田”が継続的に見えるようになると、政治は変わりやすくなります。今まで投票に行ってなかった人が行くと、何千万票という大票田になる可能性がありますが、そうなれば勝負をかける政治家も出てくると思います。
私は今まで選挙にほとんど行っていませんでしたが、これからは継続して行こうと思います。
