私はしばらく前から、高校生の診療はお受けしていません。
最初は診ていましたが、途中から、私の診療ではお役に立てない気がしてきて、高校生の診療をやめました。
今日は、その理由をお話ししようと思います。
私が高校生を診察していない理由 その①
高校生の受診でよくあるのは、登校できなくなり親が病院に連れてくるというパターンです。
診察で親が状況を話してくれるのですが、子どもはあまり話さず、そのため子どもの心理状態が分かりにくいということがあります。本人がどうしたいのか、何を困っているのかが見えないと、取っ掛かりがなく、言葉での介入は難しくなります。
その場合はデイケアなどで、運動して体を動かしたり、ゲームで他人と交流したりするのがいいのでしょうが、うちのクリニックにはデイケアがないので、対応が難しいと感じました。
精神病の治療においては、年齢に関係なく、なんとかしたいとあがいている人の方が予後がいいように思います。あがいている人の方が、「少し休んでみたら」とか「こういう考え方もあるよ」とか、言葉での介入がしやすくなります。周囲からのアドバイスも入りやすいでしょう。
登校したいとあがいている方にワンポイントアドバイス
不登校は、うつ病の診断までいかなくても、うつの構造にあります。そしてうつの時は一見元気に見える時期があっても、その元気は躁、つまり空元気に近いものです。これも躁病の診断まではいきませんが、この躁、つまり空元気は長く続かず、その後またうつに戻ります。
そのため、登校の前夜に「明日は行こう」「明日は行ける」と言い聞かせるのは、私の見立てでは躁、つまり空元気を作っているだけなので悪手です。躁が出ると次はうつになります。
また、行く行かないも、あまり考えない方がいいです。学校に行けている時は行けるか行けないかなんて考えていないでしょう。行けるか行けないかを考えてしまうのは、不安があるからですが、できるだけそこには触れないようにしてください。でも、考えないようにすると、今度は不安だけが残ると思います。
そういうわけで、登校前夜は、どうなるか分からない不安を抱えながら床に就くことになります。布団の中では降参して、できるだけ力を抜いてください。
朝起きたら、「今日はなんとかして行こう」みたいな気合いは入れず、空元気を作らず、また、行けるか行けないかにも触れないでください。そして不安はそのままにしてフラーっと家を出てみてください。行けたとしても喜ばず、毎日こんな感じを淡々と繰り返します。
不安が消えてから行こうとすると、なかなか行けないと思います。当面は不安がつきまとうと思いますが、不安をコントロールしようとしないのが大切です。不安に慣れてくれば、不安は薄くなっていきます。ただし、不安が薄くなるのも期待してはいけません。
高校生のうつの深層(推測)
そもそも、なんでうつになってしまったのか?
うつの構造で多いのが、役割アイデンティティの崩壊です。
空の巣症候群などもそうですが、「母親としての役割」が自己のアイデンティティと化してしまい、その役割アイデンティティを維持できなくなると、うつになります。
高校生の場合は、親の期待にこたえる役割、たとえば、「いい子でいること」、「模範生でいること」、「いい成績を取ること」など、各人にそれぞれあると思います。そういった明確なものでなくても、親にとっての「あたりまえ」が、知らず知らずのうちに子どもに役割アイデンティティを強要していることもあるかもしれません。(もちろん、役割アイデンティティを形成する要因は親だけではありませんが、ここでは話を分かりやすくするため、親との関係に絞って考えます。)
これらの「いい子でいること」、「模範生でいること」、「いい成績を取ること」などが単なる目標ではなく、「そうでなくてはいけない自己」になってしまうと、いい子でいられない、いい成績が取れない、学校に行けないというだけで、アイデンティティが崩れて、うつになってしまいます。
「そうでなくてはいけない自己」は一種の強迫観念です。
その思いが強くなればなるほど、精神の自由度が落ち、行動力・集中力が落ちてきます。
強迫観念とはたとえば「手が汚いんじゃないか」「鍵を閉め忘れてないか」といった不安・恐怖にかられた観念です。そのために手洗いや鍵確認を何回も行ってしまいます。こうした強迫観念と強迫行為をひっくるめて、強迫性障害と呼びます。
また、今までの学校生活の中で、他人と比較する思考習慣があったり、他者から評価されることに喜びを感じ、それをアイデンティティに加えたりしていると、うまくいかない時期には、逆にそれが苦しみになります。
親の期待が、子どものアイデンティティになっている。
それが崩壊しそうになって、うつになっている。
子どもはアイデンティティが崩壊しないよう、いい子でいられるよう、必死にあがいているのです。
登校できなくなっている子どもに対して、親が一喜一憂しすぎると、かえって「登校できる自分でなければならない」という役割アイデンティティを強化してしまうかもしれません。
それだったら、その役割アイデンティティを手放せばいいんじゃないかと思うかもしれません。
しかし、話はそんなに簡単ではありません。
自分の土台となっているアイデンティティの崩壊は、死に近い体験で、そのため不安・恐怖が強くなります。役割アイデンティティも、肉体アイデンティティと同じように、自己の土台を形づくっています。私は、このアイデンティティの崩壊に伴う不安・恐怖こそが、うつの中核症状だと考えています。
また、今までのすべての思考や行動が、その役割アイデンティティを土台にして出来上がっていますから、それを失ってしまうと、どのように考え、どのように行動すればいいのかも分からなくなる可能性があります。精神科的な用語を使うと思考抑制、決断困難、意欲の喪失などになります。
こういった構造にあることから、役割アイデンティティを手放すのも命懸けなのです。
精神の死を経験して、そこからもう一度、自分を再構築する必要があります。
私が高校生を診察していない理由 その②
本質的な治療となると、自分で自分の心を分析し、無意識にある役割アイデンティティや思考習慣を掘り起こし、うつ(不安・恐怖)に突入しながらも手放していく必要があります。これは最終的には自分自身でやるしかないし、他人が代わってあげることもできません。
この自己分析は、先ほど述べたように、本人にとっては死に近い体験になりますので、その過程でどのような反応が起きるかは分かりません。そのため私は、高校生の患者に対しては、こうした分析的な手法には慎重です。まだ親の庇護を必要とする高校生が、自分の心を深く掘り下げていく中で、「親に洗脳されていた」、「そのせいでうつになった」という考えに至るかもしれません。それくらいならまだいいのですが、その次どのような行動を取るのか予測がつかないからです。周囲から見ると病院に通い始めてから、かえって悪化したように見えるかもしれません。
せめて高校卒業後であれば、親への反発から自立へ向かうという道がありますが、日本社会では高校を卒業していないと、仕事などで選択の幅が狭まり、自立の難易度が上がります。私のスタンスは「だましだましでいいから、とりあえず高校を卒業しよう」です。
そうなると高校生に対しての診察は限定的なものとなり、本人や親の「もっと良くならないのか」という希望にも応えられないので、だいぶ前から高校生の診察はしていません。おそらく私にできるのは、話を聞き、必要に応じて精神科的な診断書を書きながら、卒業をサポートするくらいです。
他の精神科医がどういうイメージで治療しているか分かりませんが、もしかしたら発達障害などの診断で対応している所もあるのかもしれません。医師は一般的には、学校生活では比較的順調に歩いてきた人が多いと思います。そのような立場の人間が、不登校になってしまった高校生に「既存のレールを外れても生きていける」という生き様を提示するのは、難しいのではないかと思ってます。
蛇足ではありますが、本人にとって役割アイデンティティを手放すことは、あきらめる感覚に近いかもしれません。しかし、それは必ずしも、高校をやめることではありません。親の期待や「こうでなければならない自分」をあきらめ、役割アイデンティティを手放していくうえで、友達の存在は大きな支えになります。「学校は友達と遊ぶところ」くらいの気持ちで、行ってもらえれば十分です。学校は、治療の場にもなりえます。
精神病を患った時の、学校生活のサバイバル方法についてブログを書いていますので、一つのやり方として参考にしていただけると幸いです。
精神疾患を抱える学生の学生生活サバイバル術
