“うつ” とはうつ病の中核症状で、一言で説明すると存在の危機、アイデンティティの危機と言えます。恐怖や不安は “うつ” に近い症状です。詳しくは うつ病 診断 症状 の記事を参照ください。
精神分析 補足、”うつ” 原因はいろいろの記事で無意識と “うつ” についてお話しましたが、いい子でなければいけない自分とか、ちゃんと子育てしている私(空の巣症候群) とか、自分の存在意義にしがみつき、”うつ” に陥ってしまうじゃないかと不安で不安で仕方がない姿は、神経症と言えます。フロイトは無意識を抑圧すると、神経症という症状が出てくると言ってますが、いい子でなければいけない自分とか、ちゃんと子育てしている私(空の巣症候群) とかの存在意義が無意識を抑圧しているとも言えます。無意識を抑圧から解放するということは、存在意義が崩壊する、すなわち “うつ” (厳密には”うつ”は崩壊直前)になるということでもあります。
我々が “うつ” になっている時、無意識にとっては 存在意義というベールが取り除かれて、現実がすぐそこに見えてるんだと思います。さえぎるものが何もない状態、すなわち無意識が一番現実に介入できる、無意識の力を発揮できる状態でもあるということです。無意識の力は強大で、自分の意識だけでなく、無意識にとって必要とあらば周囲の状況さえ動かせる力があります。下手な抵抗はしない方がいいです。
私も “うつ” に追い込まれるのは好きではありませんが、もし追い込まれたら、無意識の力を発揮できる機会だと思って “うつ” を受け入れ最大限利用するのがいいんじゃないでしょうか。自分の存在意義を守るために、人を責めたり、自分を責めたり、いろいろ心配したり、何かを期待したりなどの 妄想のベールで無意識を覆うことをせず、”うつ”・恐怖・不安にはノーガードでサンドバッグ状態になる、これが無意識が現実に一番介入しやすい状態です。(お前できるのかというのはご愛嬌でお願いします)この状態でいれば、時間が経つに連れ、 “うつ” や不安・恐怖に慣れ、大事にしていた存在意義がなくても生きていける自信がついてきます。不安、恐怖にも動じなくなり、肝が据わってくる、器が大きくなるイメージです。きっと “うつ”の向こうには、お釈迦様のような、透明度が高く 静寂な精神が待っているんだと思います。
追記 : 重篤な”うつ”の時は無理しないでください。その場合は 無気力(意欲減退)、無感情(感情鈍麻) などの陰性症状に一旦入ってしまうと思います。
妄想とは“自分や他人を傷つける考えや行動”を指し、他人を責める、自分を責める、不平、不満、憎しみ、嫉妬、いじめ、嘲笑、自己卑下、希死念慮などがあります。現実にあるかどうかで判断するのではありません。 参照記事:妄想について どのように妄想に陥ってしまうのか?
何も考えるなと言われても
さんざん妄想してきた私が言う資格はないのですが、症状の中で、妄想は一番楽だけれど、一番よくない。妄想するくらいならまだボーッとしていた方がいい。逆に “うつ” は一番つらいけれど、精神には悪くはない。 ”うつ” に耐えられず、いろいろ考えてしまうと、それらは妄想になることがほとんどです。 “うつ” つまり存在意義を否定されると、大抵は他人を責めたり、自分を責めたり、不平・不満を考えたりすると思います。
“うつ” の時、妄想するなということは、「何も考えるな」ということでもあります。しかし、「何も考えるな」と言われても、”うつ” の時はこれがなかなか難しい。妄想などネガティブな事が頭に浮かんできて、どうしても考えてしまう。その場合どうすればいいか。(こういう時、作業療法はひとつの方法です)
何も考えないようにしようと考えるのも、「考えないようにしよう」と考えています。やろうとしていることと やっていることが真逆なので、これでは ”うつ” ・不安・恐怖には対抗できない。ポジティブなこと・楽しいことを考えるのも、”うつ” が根底にある場合、誇大妄想・躁状態になることが多く、いずれ現実に直面し “うつ“ に逆戻りしてしまう。それじゃ、どうしても浮かんでくる不安や恐怖、ネガティブな考えを、打ち消すために どういう内容なら考えてもいいのか。
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私なりの答えは、誰かの幸せを願うということです。誰かのためにがんばるではないです。純粋に誰かの幸せを祈ってください。この祈りで ”うつ”・不安・恐怖・妄想を打ち消すのであれば、強く念じても大丈夫です。早朝覚醒したベッドの中で祈ってみてください。
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