精神病という十字架を、道しるべとして生きる

psychosis-cross-guidepost 雑談

私のブログは、文章が難しいだけでなく、内容そのものも少し厳しいのかもしれません。昔の私がこのブログを読んだとしたら、たぶん「そんなの無理だよ」と思ったでしょう。もっとも、自分では治り方のイメージを分かりやすく書いているつもりなのですが。

私も「うつ病が治る魔法の言葉」のような、やさしく響く文章が書ければいいなと思うこともあります。しかし、やはり私には、そういう文章は書けそうにありません。

それでも今回は、少しだけそういう文章を見習って、
「精神病という十字架を、道しるべとして生きる」
という文章を書いてみたいと思います。

……やっぱり少し厳しいかもしれませんが。

精神病という十字架を、道しるべとして生きる

精神病は、十字架のようなもの。

おのれに刻印された十字架は、とても重く、時にその重さに押しつぶされそうになります。

「こんな重い十字架なんて、背負えないよ!」

そう泣きわめいても、あがいても、簡単には取り除けません。
どうして自分だけが、と思うこともあるでしょう。
こんなものさえなければ、もっと違う人生を歩めたのに、と思うこともあるでしょう。

それでも、その十字架を背負って生きていくしかないのです。

十字架を背負い、あまりのつらさに涙しながら、それでも一歩ずつ進んでいく。
いや、一歩でなくてもいい。
半歩でもいい。
時には、立ち止まっているだけでもいい。
そこにいるだけで、十分な時もあります。

少し勇気のいる道

精神病になると、以前と同じようには歩めなくなります。
自分の思い通りに、人生を進められなくなります。
けれど、それはただ人生が閉ざされたということではありません。

精神病を抱えた人には、精神病が軽くなる方向があります。
逆に、精神病が重くなる方向もあります。

間違った方向に進むと、精神は重くなり、身体も心も動かなくなっていきます。
ほんの少しでも良くなる方向だと思える方に、進んでください。
これは楽な道ではないけど、苦しむ道でもありません。
少し勇気のいる道です。

心の奥からの知らせ

うつや不安、恐怖、怒り、違和感。
そうした精神の不穏な動きは、ただの邪魔者ではありません。

それらは時に、
「この状況は何かがおかしい」
「知らず知らずのうちに、自分や他人を傷つける見方をしている」
「何かを手放す必要がある」
と、心の奥から知らせてくれているのです。

その時は、すぐに答えが出なくてもいい。
自分の問題なのか。
周囲の問題なのか。
それとも両方の問題なのか。
何に固執しているのか。
何を手放せないのか。

心の奥を、時間をかけて探ってみればいいのです。

迷う時もあるでしょう。
間違える時もあるでしょう。
同じところをぐるぐる回っているように感じる時もあるでしょう。

それでも、試行錯誤しながらでいいのです。
少しずつ軌道修正しながら、精神病が軽くなる方へ歩いていけばいいのです。

やっぱり、ご褒美が欲しい

でも、精神病が十字架だからといって、ご褒美がまったく与えられないというわけでもないんですよ。

ご褒美とは何でしょうか。
それは、自分で選べるものではありません。
望んだものではなく、違うものかもしれません。
けれど、精神病が軽くなる方向に一歩ずつ歩んでいれば、たまにはご褒美があります。
予想のななめ上から来るかもしれません。

誰かに「ありがとう」と思える瞬間。
なにかしら「ありがとう」と思えることが起きています。

人の言葉がやわらかく聞こえる時。
人の優しさが与えられています。

十字架を手放す時

どういう人生になるのかは分かりません。
けれど、その十字架は、ただの試練ではありません。

十字架は、あなたを守り、進む方向を教えてくれるのです。

うつや不安などの精神の不穏な動きは、あなたに危険や問題の存在を教えてくれます。
それは、あなたを苦しめるだけのものではなく、時にはあなたを導くための信号でもあります。

背負っている時には、ただ苦しいだけに思えるでしょう。
けれど、精神病が少しずつ良くなっていくにつれて、その十字架も、少しずつ軽くなっていきます。

やがて、背中にのしかかる重荷ではなく、首から下げる小さなペンダントのようになっていくでしょう。あなた特注のアクセサリーのように。

正解のない、混沌としたこの世の中で、十字架という道しるべを持って生きていく。
そう思えるようになれば、それはどんなに心強いことでしょうか。

精神病が軽くなる方向に進むこと。
それは、他の何よりも優先すべきことです。

仕事ができるようになることよりも、
お金を貯めることよりも、
誰かに認められることよりも、
もちろん、これらは必要ないとは言いませんが、
すべては、精神病が良くなるためにあるものです。
自分のためになっていないのなら、あきらめる必要もあるでしょう。

それだけです。

この十字架も、精神病が軽くなっていけば、どんどん小さくなり、
最後は、感謝とともに、その十字架を手放せる時が来るのでしょう。
少しさびしく感じるかもしれませんが。